今回は、人間がどのような過程で言語を獲得していくのかにつて書きたいと思います。
多くの人が聞いたことのある普遍文法(UG:Universal grammar)の概念もこの言語獲得理論の部分で出てくる概念です。
まず言語習得の前提として、「人間はインプット(input)を受けて、その一部を脳や心に溜め込み、その溜め込んだたもののなかからアウトプット(output)を行う」、という流れを押さえておいてください。
インプットとは、対象言語に晒されること、簡単に言えば対象言語を聞いたり、読んだりすることです。
アウトプットはその逆で、自分が対象言語を生産すること、簡単に言えば話したり書いたりすることです。
つまり、英語を学習する場合、「たくさん英語を読んだり聞いたりして、その知識を元に英語を書いたり話したりできるようになるんですよ」、というのが人間の言語習得のプロセスです。
もちろん聞いたり読んだりしたことが一瞬ですべて習得できるわけではないので少しづつ習得していくことになります。
おそらくみなさんもこの考え方に異論はないと思います。
中学や高校生の時に、例えば英語の語順は日本語と違って、「主語の後に動詞がくるんですよ」ということをインプットとして受けて、そこから英語の文構造を理解し、書いたり話したりできるようになったと思います。
母語習得の場合も似たようなもので、赤ちゃんは、両親や周りの人からたくさん話しかけられことがインプットとなり、そのインプットを通して母語のルールを理解していきます。
しかし、ここで一つの問題がでてきます。
第二言語習得に関して言えば、先ほど例を挙げたように文法の規則などの説明を明示的に受けることができるため、こまかな違いを理解していくこともできます。(例えばMike’ bikeは正しいが、Mountain’s topは正しくないなど)
しかし、赤ちゃんが得られるのはまわりの人の実際の会話だけです。
さらにいうと、人間が成長したあとにアウトプットして現れる言葉は、必ずしも今までに受けたインプットに含まれていたとは限りません。
ここで「どうして人間はインプットを受けていないものでもアウトプットとして生産できるようになるのか」という問題がでてきて、そのことを研究した理論が多く存在します。
その理論を挙げる前に、2つ理解しておいてもらいたい言葉があります。
それが生得性(innateness)と領域固有性(domain-specificity)です。
生得性とは、人間が生まれながらに備わっている、という意味です。
つまり、ここでは言語能力は人間に生まれながらに備わっているという考え方です。
そして、領域固有性とは、人間の脳には様々な領域があり、言語を習得するための領域も存在する。
そのため、言語の習得は他のものとは独立して行われる。
っという考え方です。
この二つの考え方を認めるか認めないかによって、「生成文法理論に基づいた理論」(principles and parameters approach)と、「認知的アプローチに基づいた理論」(usage-based model)に分かれています。
(処理可能性理論に基づく考え方もありますが、処理可能性理論は生得性を認めているので生成文法よりの理論になります。)
生成文法理論に基づいた理論の中には有名な「原理とパラメーターのアプローチ(Principles and parameters approach)」、「極小モデル(the Minimalist Program)」などがあり、認知的アプローチに基づいた理論には「用法基盤モデル(Usage-based model)」「コネクショニズム(Connectionism)」「競合モデル(Competition Model)」などの理論が含まれています。
簡単にまとめると、生成文法理論よりの理論は、言語のある部分に関しての生得性を認め、さらに領域固有性を認めている理論になります。
そして、そのある部分というのが「普遍文法(Universal Grammar:UG)」と呼ばれるものです。
例えば日本人の場合、
1 太郎は2軒の花屋で花を買った。
2 *太郎は2軒花屋で花を買った。
という文を見た場合、2の文は正しくないと判断できます。
しかし、何故ダメなのか、理由を聞かれたときに、詳しく説明できる人は少ないと思います。
2の文章は間違いであると直接説明されたことはないのに、正しくないと判断できる。
ここに普遍文法が働いている、と生成文法主体の人々は主張しています。
そして、言葉の習得に関して特別に生まれながらに持っている能力があると仮定するなら、言語習得は他の能力(例えばスポーツのスキルなど)とは別の脳の場所で行われる考えないと矛盾します。
同じ場所で行われるとしたら、他の能力にも生得性があるということになるからです。
一方、認知的アプローチに基づく理論では、言語知識の生得性は認めず、領域固有性も認めません(領域一般の考え方)。
つまりこちらの考え方では、言語習得もスポーツの能力などと同じように、一つのスキルとして考えているんです。
先ほどの文の判断も、直接的に2の文章が間違っているとは教えられていないが、今までに受けてきたインプットの知識を使って自分の中で間違いだと判断できるようになる、というのがこちらの考え方です。
僕はこちらの考え方に賛同しています。
例えば将棋やチェスのプロはどのように考えているかご存知でしょうか?
実は彼らは何千回、何万回とプレイすることによって蓄積された記憶を元に毎回考えているんです。
「この盤面のときはこの動きをすれば良い」、という判断を今までの対戦の記憶を元に考えているんですね。
スポーツなどでも同じだと思います。
練習したことと全く同じ状況になることは少ないですが、練習したのと似たような状況にあることはたくさんあります。
そのときには練習でしたことを元に、考えて行動しますよね?
っというふうに考えると、僕は言語習得も他のスキルの習得と同じように感じています・
細かいところに触れていくとものすごい量になるので、大体このような感じで理解しておければ大丈夫です。
それぞれが理論として成り立っているため、一つずつ見ていくのは難しいので、時間があるときに少しずつ書いていきたいと思います。
皆さんも、時間のあるときに「人間はどうやって言語を習得しているんだろう?」と考えてみてください 笑
以外と楽しいですよ。
では今回はこれぐらいで!