第二言語習得論

【第二言語習得論】「センス仮説?」10ヶ月間の学習を通しての言語習得に対する自分なりの結論

みなさんこんにちは。

最後のエッセイの提出も終わり、僕の10ヶ月間にわたる留学生活も終わりに近づいてきました。

っということで、今年度学習したことを考慮した上での僕なりの言語習得に関する結論?っというか仮説についてお話ししたいと思います。(あくまで個人的な仮説です)



まず前提として、言語習得の理論に関しては大きく分けて2種類の有名な考え方があります。

それがチョムスキーを代表とする「普遍文法(UG)と呼ばれる言語装置が人間の頭には生まれた時から存在しますよ」という生得説と、トマセロなどを代表とする、「人間の言語習得は特別なものではなくて、他の能力を習得するスキルと同じなんだよ。UGというものを想定する必要はないよ」という認知的な考え方です。(詳しくはこちら



以前にも少しお話ししましたが、僕は依然として認知的な考え方です。

それは自分の言語習得の経験が、スポーツなどの習得と重なる部分があるとめちゃくちゃ感じているからです。

僕の意見を書く前に、簡単に生得説と認知的アプローチについて見ておきましょう。



まず生得説では、人間の言語習得は他の習得とは全く異なり、脳の中にも言語習得に関する特別な領域が存在する(領域固有性)と考えられています。

生得説の元祖であるチョムスキーは、言語習得において「刺激の貧困」(またはプラトンの問題)に着目しました。

これは、「学んだこと以上のものを人間は使えるようになる」ということです。

例えば、

①「わたしは日本人です」
②「私に日本人です」

上の二つの文章を見たときに日本語のネイティブスピーカーなら②の文はおかしいと判断できます。

しかし、僕たちは他の人たちから「『私に日本人』という文章はおかしいんだよ?気をつけてね」

などというようなインプットはおそらく受け取っていません。

それにもかかわらず日本人ならすべての人が②の文をおかしいと感じる。

これが「刺激の貧困」という問題です。

言語習得を説明するためにはこの刺激の貧困をうまく説明しなければならない。

そこでチョムスキーが考え出したのが原理とパラメーターのアプローチPrinciples and parameters approach)という考え方です。



この考え方の前提として、人間はUGを持って生まれてくると考えられています。

この理論の中では、UGの中にいくつかの種類のパラメーターが入っていると仮定しています。

例えば、自分が今習得している言語が、どんなときにも主語を必要とする言語なのか(ex英語)、またはそうではないのか(ex日本語)。

インプットとして受け取る言語(学習される言語)が英語の場合、パラメーターが「主語が必要」という値にセットされ、もしそれが日本語の場合、パラメーターは「主語は必ずしも必要ない」という値にセットされる、と考えられます。

そして、ある一つのパラメーターがセットされると、それに関連づくパラメーターも次々とセットされていくため、最終的にはインプットで受け取った以上のものが使えるようになるという考え方です。



一方で認知的な考え方では「意図の読み取り」(intention reading)と「パターン発見」 (pattern finding)というスキルが重要になってきます。

いろいろなインプットを受け取っていく中で、人間はインプットを与えてきた人の意図を理解しながら、ある種のパターンを発見していく。

「パターンを発見して一般化していくことで、インプットとして受け取った以上のことを使えるようになる」、という考え方です。

一般化をする過程でもちろん間違った一般化をすることも起こりますが、それはまた他のインプットによって気づいたり、修正することができる、という考え方です。



これが2つの考え方の簡単な説明になるんですが、第二言語習得やバイリンガルの子供について考えた場合、僕的には「パラメーター理論では説明しきれないのではないか」と感じるんです。

また、生得説の方では臨界期仮説(人間には言語習得に最も適した期間が存在し、それを超えるとネイティブレベルには達せないという考え方。だいたい思春期ぐらいと言われている)とも強いつながりがありますが、臨界期仮説の例外(JulieとLauraと呼ばれる成人をこえた後にアラビア語をネイティブベルにまで習得できた人)を説明することも難しいのではと感じています。

ではこれらの問題点はどのように説明されるのか。

ここからが僕の認知的な考え方に基づいたその名も「センス仮説」とでも呼べる仮説です。(注意:勝手に僕が作った仮説です)



前提

人間は時間をかければどんなことでも習得できる

もちろん物理的に可能なことに限ります。

しかし、その時間が一生という時間で足りるかどかはわからない

①「センス」とは、あることを習得する時間を短縮するできるものと仮定する

②センスには強さがある(強いセンスであればあるほど、習得にかかる時間を短くすることができる)

③すべてのことに対するセンスが、生まれたときそれぞれ異なったレベルで割り振られている(遺伝的な影響を受ける可能性大)

④臨界期は唯一生まれながらに割り当てられたセンスを成長させることのできる時間(必ずしも最高レベルに達するわけではない)

⑤第一言語習得と第二言語習得のセンスはそれぞれ別もの

⑥多くの第一言語習得の考え方では、「全員がL1(第一言語)の習得に成功する」と考えられているが、その中でも、人それぞれ違うL1能力を持っている(例えば作家の人であれば書く能力が他の人よりもすぐれているなど)

⑦似ているものに対するセンス同士はお互い影響し合う



これがぼくの10ヶ月の勉強の成果と僕なりの結論です。(しょうもないことばっか考えてんねんなとか思わないでください 笑)

先ほども言ったように、僕は完全に認知的な考え方に基づいて考えているため、この仮説は言語習得のみに当てはめたものではありません。

スポーツやチェスなど、その他の習得に関しても当てはまると考えています。

具体的に説明していきたいと思います。



僕は生得説の人のように、人間はUGを持って生まれてくるとは思いません。

人間の第一言語習得も、第二言語習得も、野球の習得も、チェスの習得も全て同じメカニズムで行われていると考えています。

その中で重要な働きをするのが「センス」。

僕はこのセンスを①のように定義付けました。

そして、全てのことに対するセンスは生得的に割り振られる。(例えば、野球に対するセンス2、サッカーに対するセンス5、チェスに対するセンス8など)

そしておそらく、遺伝的な影響も受けると考えています。(サッカー選手の子供はサッカーに対する生得的なセンスは高い傾向にある?)



そして、先ほど出てきた臨界期。

僕はこれをネイティブレベルの言語習得を行える唯一の期間ではなく、センスを成長させることのできる唯一の期間と考えています。

つまり、この期間に、あることの習得を始めるとセンスのレベルを上げることができるということです。

センスのレベルを上げるには、そのあげたいスキルに接すること。(野球のバッティングのセンスを上げたいならバッティングをするなど)



しかし残念ながら、必ずしも最高レベルのセンスにまで成長させられるとは限りません。

これが僕の中ではプロスポーツ選手になる人と、慣れない人の差だと思います。

プロスポーツ選手は基本的に小さい頃からそのスポーツをはじめます。

僕の考えでは、そのことによって彼らのセンスは育てられます。

そして例えば野球だと、18歳のプロになるまでに、プロレベルに達することのできる期間分まで習得時間を縮めてくれるセンスを成長させることのできた人だけがプロになれる、ということになります。

マイケルジョーダンはバスケットボール選手として有名ですが、実はメジャーリーガーになったこともあります。

彼の経歴を見てみると、実はバスケットボールよりも前に野球の経験があるんです。

その経験によって彼のセンスが成長させられていたと考えると面白くないですか?



ではどのように習得時間を短くするのかというと、それは知識に関連します。

人間には明示的知識と暗示的知識というものがあり、前者は考えてわかる知識、後者は無意識にわかる知識のことを指します。

先ほど質問した「私に日本人です」の質問は暗示的知識を使って答えたわけです。(文法的に助詞の「に」の使い方は〜なんて考えてませんよね?笑)

そして、人間があることを習得するということは、暗示的知識をもつということです。

センスは、明示的知識を暗示的知識に変換するまでの期間を短くしてくれたり、暗示的知識を取り入れやすくすることで、習得期間を短くしてくれていると考えています。

例えばスポーツでも、体の動きを一つ一つ指導された後、意識的にそのことを頭に入れながら繰り返し練習すること(明示的知識)で、その動きを無意識にできるようになる(暗示的知識)と思います。

言語習得でも同じです。

初めは一つ一つ文法を気にしながら話していた(明示的知識)としても、慣れてくると文法を気にしなくても正確に話せるようになります(暗示的知識)。



そして最後の3つ。

僕は言語の習得と言っても第一言語習得と第二言語習得のセンスは異なると考えています。

もし仮に同じであれば、全ての人が第二言語もすぐに習得できるのでは?と感じるからです。



一方で似ていることに対するセンスはお互い影響するという考え方で、第一言語習得に対するセンスと、第二言語に対するセンスは一部では関わり合いがあると思います。

例えば、同じ第一言語習得にたいするセンスと言っても、その中にはライティングのセンス、リーディングのセンス、スピーキングのセンス、など色々と細分化されます。

第一言語でライティングに対するセンスがある人は、第二言語のライティングのセンスも高い傾向にあると考えられます。



ってな感じで、言語習得と他のスキルの習得でごちゃごちゃになりましたが、ここからは言語習得に絞ってお話ししたいと思います。

この仮説が一番貢献する部分はやはり臨界期に対する考え方だと思います。

先ほど挙げた臨界期の例外、成人後に第二言語を習得した人に関しては、生まれながらにして第二言語習得に対するかなり強いセンスを持っていたと考えれば解決できます。

また、この仮説で「天才」の説明もできますね。

「天才というのは生得的に与えられる全てのセンスが、高い値に設定されている人」ということになります。



そして一番重要な点が第一言語習得。

なぜ人間は第一言語習得には苦労しないのに、第二言語習得には苦労するのか。

みなさん答えはお分かりだと思います。

第一言語習得は否応無しに臨界期に第一言語に接するためセンスが育てられているんですね。

つまり全ての人が第一言語習得に関しては比較的高いレベルのセンスを持っていることになります。



一方第二言語は臨界期(思春期あたり)を超えてから学習し始めることが多い。

なので、もともと持っているセンスのみに頼って学習することになります。

その結果人によって大きなレベルの違いが出てくるんですね。

バイリンガルの場合は、第一言語、第二言語両方のセンスを育てることができるため、両方の言語の、早い時期での習得が可能になると考えられます。



Wild childと呼ばれたVictorと呼ばれる子供がよく臨界期の例として出てきます。

彼は13歳ごろまで森の中で人間の言葉と接することなしに生活していて、発見されたあと言語を教育したが結局ネイティブレベルには達しなかったというものです。

実際に実験することは不可能ですが、僕の仮説が正しいならば、もし生まれながらに、第一言語習得に対するかなり強いセンスを持っている人なら、Victorのように13歳以降に第一言語習得を始めたとしても、ネイティブレベルに達することができるということになります。



一つだけ注意して欲しいことは、「センス」だけが唯一習得時間を短くすることのできるものではないということです。

センスというのは内在的なもので、生得的に与えられ、臨界期のみに育てることができるものであるため、臨界期以降に、あることの習得を開始した時にはどうすることもできません。

しかし、インプットの質によっても習得期間は変化すると僕は考えています。

つまり、自分の持ってるセンスと、インプットの質によって習得期間が決まるということです。

スポーツでも英語の授業でも、説明の上手な指導者と下手な指導者が存在します。

当然説明の上手な指導者から受け取るインプットの質の方が高くなるため、そのような指導者から学ぶ方が習得時間も短くなるということです。



したがって、視点を変えると、教師は生徒のセンスに影響を与えることはできません。

しかし、与えるインプットの質を上げることはできます。

なので、教師にとって一番必要なことは、「より良い指導法をみつけ、より質の高いインプットを学習者に与えてあげる」ということではないかと思います。



ってな感じの考え方が僕のこの10ヶ月の勉強の成果ということになります。

自分の目的としていた言語習得に対する自分なりの考え方を見つける、という目標を達成することができたので、自分の中ではかなり満足です。

ただ大きな欠点は、センスという抽象的な概念を用いているため、実験などで証明するのはかなり難しいんですね。

しかし、先ほど挙げたwild childのようあ事例が再び出てきて、その時に第一言語習得に成功したという報告が出た場合、僕の仮説の信憑性がさらに増すのではないかと勝手に考えています。



ってな感じで、海外留学で大切なこと、自分の意見をしっかり持つ、ということを実際に示してみました。

では今回はこのぐらいで!



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【第二言語習得論】赤ちゃんの言語発達③「言葉の理解」名詞習得に関する制約:相互排他制約、分類カテゴリー制約、事物全体制約など

最後は「言葉の理解」についてです。(「音の知覚」「言語産出」もまだの人はどうぞ)

*英語が母語の赤ちゃんについての言語発達です



「言葉の理解」の研究は、動作法(act-out task)絵画選択法(picture selection task)などで調べられます。

動作法は、意味が曖昧な文を聞かせた後、幼児にぬいぐるみを使用させ、どのような意味に理解したのかを表現させるというような方法です。

例えば「パンダがキツネを蹴りました」という文を聞かせた後、パンダとキツネのぬいぐるみを渡して表現させるというような方法です。

一方で、絵画選択法は、二つの絵を見せて、これから話す内容と一致する方を選んでもらうことで、話の内容を理解できているのかを確かめる方法です。

この二つの方法は基本的には文章の理解に対して用いる実験方法です。



似たような方法に、“the preferential looking technique”というものがあります。

この方法では二つのもの、例えば犬のぬいぐるみと猫のぬいぐるみを見せて、「犬をみて!犬はどっち?」と発すると、赤ちゃんが「犬」という言葉の意味を理解できている場合、犬の方を長く見る傾向があるため、物の名前などを理解できているのかを調べることができます。



このような方法を用いることで、生後3ヶ月の幼児が犬と猫の違いだけでなく、猫の種類に関しても識別できることがわかりました。

生後12ヶ月(1歳ごろ)になると、少なくとも10語の単語の意味を理解できていると言われています。

13ヶ月ごろには100語以上、17ヶ月では平均で180語理解していると言われています。

また、17ヶ月ごろには普通名詞と名前の識別もできるようです。



例えば、幼児に一つのぬいぐるみを見せて、”That’s Zav.”と” That’s a zav.”の2種類の文を聞かせた後、似たようなぬいぐるみからzavをもってくるようにお願いします。

“a”の意味を理解できていたなら、前者はぬいぐるみの名前を表し、後者はそのぬいぐるみの種類を表しているということを理解できるため、前者の場合は初めに見せたぬいぐるみを持ってこなければいけないのに対して、後者の場合は同じ形のものならどれを持ってきてもいいということになります。

このような実験で17ヶ月の子供は、ぬいぐるみの場合はきっちりとaの有無によって判断したのに対して、同じことをブロックを用いて行った場合、aの有無に全く期をかけなかったようです。

つまり、「ブロックが名前を持つことはない」ということを理解している証拠になったということです。



2歳ごろになると、自動詞と他動詞の区別ができるようになります、

ある実験で、先ほど説明したthe preferential looking techniqueを用いて”Big bird is flexing Cookie Monster.”と “Big bird is flexing with Cookie Monster.”をそれぞれ聞かせた後、一枚はBig birdがCookie Monsterを後ろから押している絵を、もう一枚は二人が並んで行なっている絵を同時にだし、どちらの絵を長く見るのかを調べられました。

withの有無で自動詞か他動詞かが変わり、さらに意味も変わってきますが、2歳の子供は文に対応した絵を見る時間が長かったようです。

つまり、違いを理解できているということになります。



単語の学習に関して、幼児は様々な制約を用いることで単語学習を効率よく行っていると言われています。

これをLexical constraints hypothesisと言います。

それが、相互排他性(mutual exclusivity)ファーストマッピング (Fast mapping)事物全体制約 (whole object constraint)分類カテゴリー制約 (taxonomic constraint)です。



相互排他性とは、「一つのカテゴリーの事物には1つのラベルが貼られる」というものです。

つまり、幼児はもしすでに「car」という単語を知っている場合、「veicle」などの類義語のようなものが存在するとは想定しません。

このことによって、「tire」などの新たな単語を学んだ時に、「car」という単語を知っていれば、「それは車自体ではなく違う部分を指す言葉なんだな」、という予測が立てられ、単語学習を効率よく行えます。



ファーストマッピンングも同じようなもので、新しい単語を学ぶ時に、その新しい単語は「幼児がまだ知らないものの名前を指している」、と考えているというものです。

先ほどの例であげると、「window」と聞いた時に、「car」という言葉を知っている場合、その言葉は車自体を指すことはない、という考えのもと学習が行われます。

相互排他性と、ファストマッピングは似ているため、研究者の中には同じものと考えている人もいるようです。



次に、事物全体制約とは、「語は部分ではなく、事物全体を指す」というものです。

例えば、幼児が初めて「car」とう言葉を学習するとき、実際の車や本に描かれているを見ながら「これはcarですよ」と学びます。

しかし、この制約がないないと、幼児は「car」という言葉がその本のページを指しているのか、タイヤの部分を指しているのか、ライトの部分を指しているのか判断できません。

したがって幼児はこの事物全体制約によって、全く知らない物体をみて単語を学習する場合、「その単語はその物体の一部分ではなく、その物体全体の名前のことである」と想定しながら学習します。

そして、物体自体の名前を学習し終えれば上で述べた他の制約により、部分的な名称の学習にうつっていくんですね。



そして最後は分類カテゴリー制約。

この制約は「語は特定の事物ではなく、同じ分類の類似したものを指す」というものです。

例えば「bus」という語を学習した子供に、(バスが入っていない)いろいろなものの中から「違うbusを持ってきて」というと、その子供は、同じ乗り物のカテゴリーで(タクシーや電車など)、教えられたバスと似た形、色のものを選んで持ってくるとい言われています。

このことから、子供は「bus」という語を、「目の前のバスだけを表している語ではなく、全体的なカテゴリーの名前だと認識した」ということがわかります。

これらの制約は全て同時期に現れるのか、または別々に現れるのかということが言い争われています。

ある研究者はファーストマッピングは2〜3歳、相互排他性と事物全体制約は3歳ぐらいにみられる、と述べられていますが、実際のところはどうかはわかりません。



生後30ヶ月〜36ヶ月ごろになってくると、ボキャブラリースパート(vocaburary spurt)とよばれる現象がみられます。

この時期になると単語量が一気に増えるんですね。

それまでは1週間に平均3語ぐらいの割合で学習していたのが、この頃になると1日あたり8〜10語学習すると言われています。

the Critical mass hypothesisという仮説によると、このボキャブラリースパートは、ある年齢に達すれば起こるというよりも、単語量が150〜200後ぐらいになった頃に起こるのではないかと考えられています。



2〜4歳あたりではMean Length of Utterance(MLU)とよばれる、子供の会話の複雑さを測る指標が急増するとも言われています。

MLUはどれだけ子供が複雑な文を作れるのかを測るための方法です。

例えば子供が “Daddy eat red apple.”という文を産出した場合、MLUはその語数である4になります。

しかし、いくら長い文を産出できたからといって、文法が無茶苦茶なら、その分は複雑であるとはえません。

なのでもし子供が”Daddy eats apples.”とい文を産出した場合には、語数は3なのですが、文法項目の三単現のsや複数形のsを正しく用いることができているのでMLUは5と判断されます。

このように単に語数だけでなく文法が適切に使用されているかも考慮に入れた点数がMLUです。

2〜4歳の子供はこのMLUが2からだいたい8ぐらいまで伸びていくと言われています。

このことから、この時期には文法の習得も徐々にはじまっているのではないかと考えられます。



wordの定義に関してもある年齢に達するまでははっきり理解できません。

5歳の子供は実際に形があるものだけがwordだと考えます。(This is a pen.の中にwordはいくつあるかと尋ねると具体的なペンだけをwordと捉えるので1つと考えるんですね)

7歳ごろになると、抽象的なものもwordだと認識し始めますが、この年齢でも、前置詞や冠詞などの機能語に関してはwordとは認識されません。

9〜10歳ごろになるとようやく冠詞などの機能語もwordとして捉えるようになります。



ってな感じで僕が調べてみた子供の発達段階について「音の知覚」「言語産出」「言葉の理解」と3つの観点からまとめてみました。

下で紹介している3つの本の全てのページを読んだわけではなく、さっと目を通して重要なところを抜き出しただけなので、抜けていることも多くあると思いますが大体はこんな感じです。

っということで今回はこれぐらいで!



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幼児の言語習得に関しては以下の三冊の本を基に書いています。(クリックで詳細表示)













【第二言語習得論】赤ちゃんの言語発達「言語産出」クーイング(Cooing)や2種類の喃語(marginal babbling & canonical babbling)、一語文期や多語文期について

では子供の言語発達第二弾を見ていきましょう。(第一弾の「音の知覚」はこちら

第二弾は3歳ごろまでの「言語産出」についてです。

一つずつ見ていきましょう!

ちなみにあくまで目安のため、個人差があります。

さらに基本的には英語が母語の子供がサンプルとなっているため、「うちの子はもっと遅かった」などのツッコミはなしでお願いします・・・笑



もちろん生まれてすぐの赤ちゃんは話すことはできません。

しかし生後2ヶ月頃になるとクーイング(cooing)と呼ばれる「クー(グー)」と聞こえるような音を発するようになります。

この時期にはまだ身体的な音声器官が発達していないため、はっきりとした音を出すことができないんですね。



4〜6ヶ月頃になると喃語(babbling)が発せられるようになります。

このころの喃語はmarginal babblingと呼ばれ、母音と子音の間のような音を発します。(よく漫画などで用いられている「バブーバブー」という表現はバブリングからきているのかな?)

きになる人は某動画サイトなどでbabblingと検索すると聞くことができます。

その後7ヶ月目ぐらいには[da-da-da-da]というような規則性を持った同じ音の連続(cononical babbling)を発するようになります。

そして一歳になる直前ぐらいには、[babi-babi] のというような、より複雑な規則を持った音も発せられるようになります。



1歳になる頃には初めて単語が発せられるようになります。

その初めて発せられる単語のことをそのまま初語(first word)と呼びます。

この時期には単語と喃語の両方が現れる傾向にあるんですが、一応単語を発して思いを伝えることができるため、「一つの単語で文を作る」一語文期(one-word stage)とよばれます。

ちなみに僕の弟の初語は「パン」だったみたいです・・・笑

お母さんは忙しい時にいつも弟に「パン食べとき!」と言ってパンを渡していたようで、弟はその「パン」という言葉を覚え、お腹が空いた時に「パン!」という一語で「パンよこせ」という文を表現していたことになります。



そして生後13ヶ月頃には約10単語、17ヶ月頃には約50単語を発することができるようになると言われています。

この17ヶ月頃には二つの単語をつなげて話すことができるようになります。

“more juice”などですね。

日本語の場合だと「もっとジュース」的な感じでしょうか。

この時期も先ほどのように「2語で文を作る」ため、二語文期(two-word stage)とよばれます。

またこの時期の発話は前置詞や冠詞のような機能語が抜け落ちていて、新聞などの見出しのような構造になっているため、telegraphic speechともよばれます。



2歳になる頃には、文法事項にも少し気を使いながら話すことができるようになります。

英語では意味を伝える上で語順がものすごく大切です。(I love you.とYou love me.では全く意味が異なります)

このようなことも理解し始めているため、例えば、”Mummy shoe”と “shoe Mummy”では伝えたい意味が異なることも多くなってきます。(前者は “Mummy’s shoe”「ママの靴」、後者は “Mummy, fetch my shoe”「ママ、靴とってきて」を意図していった可能性があるようです)



そして生後30〜36ヶ月(3歳ごろ)には約150語ほどの言葉を発することができるようになると言われていて、この頃になると3語以上の文も産出できるようになってくるため、この時期を多語文期(multi-word stage)とよびます。



というような流れで赤ちゃんは言葉を発するようになっていくんですね。

ではこのままの調子で「言葉の理解」も見ていきましょう!

赤ちゃんの言語発達③「言語の理解」



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【第二言語習得論】胎児〜子供の言語発達① お腹の中の赤ちゃんも言語を知覚している!?実験の前提となる考え方の慣化や脱慣化

今日は幼児〜子供の言語発達について書いていこうと思います。

赤ちゃんがどのように言葉を習得していくのかという一通りのプロセス書いていく予定ですので、興味のある人は読んでみてください。

「音の知覚」、「言語産出」そして「言葉の理解」の3つに分けて書きます。

今回は「音の知覚」についてです。



まず、胎児〜という言葉を用いましたが、驚くことに人間はお母さんのお腹の中にいるとき、特に生まれてくる直前の最後の3ヶ月あたりから音の知覚(母語の音声やリズムの知覚)は始まっていると言われています。

よくお腹の中の赤ちゃんに声を開けるといいよ、ということで、妊婦さんやその旦那さんがお腹の赤ちゃんに声をかけたりしていますが、実際にあれは効果があるということですね。

「じゃあなんでそんなことわかるねん」ってなるんですが、実験によって証明されています。

「どうやって実験するん?」ってことなんですが、それは心拍数と赤ちゃんがお母さんのお腹を蹴る頻度によって調べることができます。

「???」って感じだと思うので詳しい説明を。



胎児はある音声の刺激を受ける(音を聞く)と心拍数やお腹を蹴る頻度が上がるということがわかっています。(機械を用いて計測するんですね)

さらに同じ音声の刺激を与え続けると、だんだん飽きてきてしまうため、心拍数やお腹を蹴る頻度がだんだん下がってきます。

よく「毎日同じことを繰り返す日常に飽きてきた」的な言葉が漫画やドラマでも登場します。

そんな感じ 笑



つまり、その音声を聞くことが当たり前のようになってくるため飽きてくるんですね。

このことを慣化(habituation)と呼びます。

その状況で、次に違う音の刺激を与えます。(例えば今までずっと「こんにちは」という音を聞かせていたのなら、次に「元気ですか」という音を聞かせてみるというような感じ)

すると、赤ちゃんの心拍数やお腹を蹴る頻度がまた増えるんです。

どういうことかというと、もし仮に例のように、「こんにちは」の音が慣化した後に「元気ですか」を聞かせた時に、両方の音が同じだと知覚したなら、心拍数や蹴る頻度は変わらないはずです。

同じことの繰り返しに飽きた日常の状態ですよね。

しかし、「元気ですか」の音が「こんにちは」の音とは別のものと知覚できている場合のみ、その違いに気づくことができ、新しいものだと気付き心拍数と蹴る頻度が増えるんですね。

これを脱慣化(dishabituation)と言います。(慣化と脱慣化の考え方は幼児を対象とする実験でも大切な考え方なので頭に入れておいてください。)

つまり、心拍数と蹴る頻度が増えていることから、胎児は音の違いを知覚できていると言えるんです。

もちろん胎児は言葉の意味は理解できていませんが、音の違いは知覚できるんですね。



さらに面白いことに、胎児はお母さんの声も理解できていると考えられています。

ある研究で生まれてすぐの赤ちゃんは、他の人たちの声よりもお母さんの声に対してより興味を示すことが示されています。

お母さんのお腹の中にいるときは、お母さんの声を羊水を通して聞いているため、生まれてきてから聞く声とは異なります。

しかし、赤ちゃんはお母さんの声に関するなんらかの手がかりをお腹の中にいるときに手に入れて、生まれてから一番重要になるであろうお母さんの声を判断する能力を手に入れていると考えられています。

そして生後たった2日の赤ちゃんが自分の母語に対する関心を示したり、生後4日の赤ちゃんが英語とフランス語を区別できたりすることを示す研究もあります。



英語が母語の赤ちゃんは生後1〜4ヶ月ほどで音の似ている[p]と[b]の音を識別できるようになると言われています。

ここでもまた、「どうやってそんなんわかるねん?」ってなりますよね。

先ほど説明した慣化と脱慣化という考え方を基にした、High-amplitude sucking techniqueというおしゃぶりを吸う頻度を調べて違いを知覚できているのかを判断します。

先ほどは心拍数と蹴る頻度を基に調べましたが、乳児の場合は機械に接続されたおしゃぶりを使って調べることができます。

つまり、[p]の音に慣化させた後に、[b]の音を聞かせると脱慣化が起こったということです。(例えば[pa]という音を聞かせて感化させた後に[ba]という音を聞かせることで調べることができます。逆でも可能)



一方で赤ちゃんは似ている音の知覚をしなくなることもあります。

ある実験で生後6〜12ヶ月までの日本人の赤ちゃんは[l]と[r]の音を聞き分けることができたのに、10ヶ月〜12ヶ月のグループは聞き分けることができなかったということが示されています。

言い換えると、もともと持っていた音を聞き分ける能力の一部を赤ちゃんは失っているということです。

しかし、これは母語習得の観点からすると悲しいことではないんですね。(第二言語を学習する場合には悲しいことですが・・・笑)

自分の母語に必要のない識別は切り捨てたほうが母語習得にとって効率がいいんです。

毎回「ラッパ」という音を聞くたびに、今の「ラ」の音はLなのかRなのか、なんて日本語の場合には判断する必要はありません。

なので無駄な部分は識別しなくなるんです。

つまり、英語を母語とする赤ちゃんは10ヶ月を過ぎても[l]と[r]の識別はできるということになります。



また生後2ヶ月の英語を母語とする赤ちゃんは、自分の母語と日本語を識別できる一方で、オランダ語とは識別できないという実験結果があります。

この説明として持ち出されるのが、生まれてから赤ちゃんは言語のリズムによって異なる言語動詞を知覚しているのではないかという”rhythmic class hypothesis”という仮説です。

言語は大きく分けて3種類のリズムに分類されます。(詳しくは幼児の音の分節化の方法に書いています)

強勢リズム(stress-timed rhythm)

音節リズム(syllable-timed rhythm)

モーラリズム(mora-timed rhythm)

の3つです。



英語は強勢リズムの言語に分類される一方、日本語はモーラリズムの言語に分類されます。

したがって音のリズムが異なるため赤ちゃんはこの二つの言語を識別できるということです。

一方、オランダ語は英語と同じく強勢リズムの言語に分類されます。

したがって同じリズムであるため二つの言語は同じように聞こえてしまい識別できないということです。



というのが「音の知覚」についてです。

次は「言語産出」に行きましょう!

赤ちゃんの言語発達②「言語産出」



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幼児の言語習得に関しては以下の三冊の本を基に書いています。(クリックで詳細表示)











【第二言語習得論】フォーカスオンフォームの種類と代表的なタスク

今回はフォーカスオンフォームの種類と、代表的なタスクを紹介していきたいと思います。

種類に関しては言葉での説明では少しややこしいため、タスクの紹介が中心にあると思います。(フォーカスオンフォームって何?てなった人はこちら



ではまず簡単にフォーカスオンフォームの種類を。

基本的には大きく分けて2種類になります。

事前対策的フォーカスオンフォーム (reactive focus on form)や、反応的フォーカスオンフォーム (proactive Focus on Form)とも呼ばれます。

意味はそのままの意味です。

事前対策的フォーカスオンフォームとは、教師があらかじめ特定の言語項目(文法事項)を使用しないと解決できないようなタスクを準備して、予想されるような間違いに対する対処法を準備した上で行うフォーカスオンフォームです。

一方の反応的フォーカスオンフォームとは、コミュニケーション活動を行っている中で生じた間違いに対して教師が反応し、その誤りに対してのフィードバックを、コミュニケーション活動を遮らないような形で行うフォーカスオンフォームです。

つまりこちらのフォーカスオンフォームでは、教師の力量がめちゃくちゃ重要になってきます。

さらに、Williamsという人はもっと細かくフォーカスオンオンフォームを分けているのですが、今回はタスクの方を中心に取り上げたいので、気になる人は第二言語習得SLA研究と外国語教育(下にリンクを貼っておきます)を読んでみてください。(プレマスター留学日記の最後で初回する予定ですが、このプレマスター留学の際めちゃくちゃお世話になった本の一つです。)



ではタスクの種類を紹介していきましょう。

タスクに関しては、どれだけ教師の指導が生徒に対して明示的に行われるかという介入度、という側面から分類が行われています。(明示的というのは直接的に、「〜が間違っているよ」などの指導をするということです)

介入度の高い方から順に、

インプット洪水、タスク必然性、インプット強化、意味交渉、リキャスト、アウトプット強化、インタラクション強化、ディクトグロス、意識高揚タスク、インプット処理、ガーデンパス、となっています。

ガーデンパスが一番介入度の高いタスクとなります。

では一つずつ簡単に見ていきましょう。



まずインプット洪水とは、その名の通り目標とする言語項目が多く入ったタスクや教材を使い、生徒がその言語項目に触れる機会を増やすような方法です。

タスク必然性も名前の通り、ある言語項目を使用しなければうまく達成できないようなタスクを作ることです。

インプット強化とは、目標言語項目の部分を例えば太字にしたり、イタリック体にしたりすることで視覚的に学習者に目標言語こう奥に注意をもっていくように促す方法です。

意味交渉もその名の通り、わからない部分の意味などを会話を通して尋ねていくことです。

リキャストとは、教師が生徒の間違いを含んだ発言を、その意味を変えずに間違えた部分を訂正した言い直しのことです。

例えば生徒が”*I go to the library yesterday.”と発言した場合、教師は生徒が自ら間違いに気付くように”You went to the library?”などの繰り返しを行うことです。

アウトプット強化とは、教師側が生徒の発言の曖昧な部分をより詳しく説明するように求める明確化要求 (clarificationrequest)などをもちいて、生徒がより話すように促す方法です。(アウトプット=言葉を発することという理解で大丈夫です)

インタラクション強化とは、アウトプット強化と少し似ていますが、アウトプット強化のように教師が詳しく述べることを要求するのではなく、発言の一部を言い換えたりするなどして(暗示的フィードバック)、生徒が自ら発はを修正するように導く方法です。

ディクトグロスとは、教師が短いテクストを読み、生徒はグループやペアで聞き取った内容を話し合いながらどんな話だったかを再生していくタスクです。

意識高揚タスクとは、学習者の注意を特定の文法項目に向けさせ、その文法項目に対する理解を促すことを目的としたタスクのことです。

そのために、グループでの話し合いなどを組み入れている点が一つの特徴になります。

インプット処理は、学習者が目標とする文法項目に注意を払わなければ判断できないような文の内容判断を行わせる指導です。

例えば、”Yesterday, I (go) to Tokyo.”という文章はyesterday さえ聞き取れればgoの時制を気にすることなしに内容を判断できてしまうので、I went to Tokyo.というような文をきかせて、いつの出来事かを判断させたりするのがインプット処理の指導となります。

最後のガーデンパスとは、教師があらかじめ生徒が過度に一般化して間違えるような付くを用意して、間違えさせた後に、正解を示して、正しい使い方を印象付けるような手法です。

例えば、所有格の’sなどで考えると分かりやすいと思います。

はじめに、Tom’s〜、Mika’s〜などを教えた後に、あの山の頂上は?などと尋ねて、The mountain’s topという間違いを引き出した後、物にはof使を使わないといけないよ、と指導するなどです。

今説明したものは第二言語取得と英語科教育法という本に基づいているので、詳しく知りたい方はそちらを読んでみてください。(こちらも僕のお世話になっている本で、下にリンクを貼っておきます)



このように、いろいろなタスクがありますが、現在の研究の結果の一つとして、明示的な指導の方が暗示的な指導法よりも効果的だというものがあります。

つまり、明示的フォーカスオンフォームが一番効果的な指導法であるという結果が出た一方で、暗示的フォーカスオンフォームよりも明示的フォーカスオンフォームの方が効果的であるという研究結果も出ています。

したがって、現在注目を集めているフォーカスオンフォームですが、まだまだ研究が続いているため、今の所一番の教授法だとは断言できません。

文法訳読法がリーディングに対しては今でに効果的な教授法であるように、生徒の学習目標によって、どの教授法が適しているのかも変わってきます。

なので、教師を目指す人たちはいろいろな教授法を知って、それらの特徴を押さえた上で、生徒のニーズにあった教授法を選択できるようにすることが大切だと思います。



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【第二言語習得論】教授法の変遷(文法訳読法、オーディオリンガル・メソッド、コミュニカティブ・アプローチ、タスク中心の教授法、フォーカスオンフォームなど)

みなさんこんにちは。

今日は第二言語研究と、それに基づく教授法について書いていきたいと思います。

おそらく聞いたことのあるよというような、文法訳読法やコミュニカティブアプローチなどについてのそれぞれの特徴を簡単に見ていきましょう。



まずは伝説の文法訳読法Grammar translation Method

おそらく日本人で英語教育を受けた方なら全員が知っているであろう教授法です。

その理由は、日本で一番多く採用されている教授法だからです。

一つのテキストを前から順番に母語に訳していき、必要に応じて文法項目をピックアップしていき解説していく。

おそらく多くの人が自分の学生時代を思い浮かべたのではないでしょうか?笑

これが文法訳読法です。



この文法訳読法は、1840年代〜1940年代あたりに「外国語学習の目的は、外国語で書かれた文学を読み、精神的、知的に成長することだ」というような考えのもとに考案されたものです。

目的の部分からもわかるように、バリバリ読解に重点を置いた教授法なんですね。

言い換えれば、文法訳読法は近年頻繁に批判されていますが、読解力に関しての教授法としては未だに優秀な教授法なんです。

近年ではコミュニケーション重視の教授法が模索されているために批判されやすいということですね。



そのあと、1930年代〜1960年代にかけて、行動主義に基づいた第二言語研究が盛んになります。

この行動主義の考え方のもとでは、「行動は何度も繰り返されることでやがて習慣になる」と考えられており、「言語の習得もそれと同じだ」という考え方でした。

つまり、「第二言語も何度も繰り返すことで、それはやがて習慣となる、つまり習得できる」という考えです。

このような行動主義の考え方に加え、対照分析仮説という考えをプラスして生まれたのがオーディオリンガルメソッドAudio-Lingual Method)、別名オーラルアプローチ。(厳密に言えばオーディオリンガルメソッドはオーラルアプローチの進化版です)

軍隊の言語指導にも用いられていたため、別名アーミーメソッドとも呼ばれています。(かっこいい・・・)



ちなみに、対照分析仮説とは、「学習者の母語と、目標言語を比較することで、学習者にとって習得が難しいものは何かが予想でき、それを見つけることで教授をより効率的にできる」という考え方です。

なので、オーディオリンガルメソッドは簡単に表すと、「母語と習得しようとする言語との違いがある部分を重点的に繰り返し練習し、習慣化させることで第二言語は習得可能なんだ」という理論のもと生まれた教授法です。

したがって、この教授法に基づいた指導には、パターンプラクティス(例えばI have a pen. という例文を見たあと、主語を代えてYou have a pen.というような文を作る練習)やドリル学習(小学校の時に漢字ドリルや計算ドリルっというのをやりましたよね?同じような問題を解きまくるやつです)というようなものが中心となってきます。



個人的にはこの行動主義に基づく言語習得論、かなり賛成です。(言語の違いの部分だけに着目するのはやはりまずいと思いますが)

生得性の部分でも少しお話ししましたが、僕はUG否定派のため、この繰り返すことで習慣化されるという理論がものすごくしっくりくるんですね。(UGや生得性について知りたい人はこちら

っということはおいといて、話を進めましょう。



結果的にいうと、このオーディオリンガルメソッド、ある程度の成功を収めるんですが、致命的な欠点がありました。

それは・・・

楽しくない!!

「え?それだけ?」、ってなりましたか?

これ致命的な欠点です。



おそらく言語を習得する上で一番の楽しみというのは他の人とコミュイケーションを取ることなんです。

どうして僕たち人間が言葉を使うのか。

それは他の人とコミュニケーションをとるためですよね?

コミュニケーションをとる必要がなければ言葉なんていりません。

自分を表現する必要がなくなるんですから。

第二言語だって同じです。

習得したからには使わないと楽しくない。

しかしこのオーディオリンガルメソッドではパターン化を図っていくため、コミュニケーション能力をつけることができなかったんですね。



そこで生まれてきたのが近年大流行中のコミュニカティブアプローチ。

「言語習得の最大の目的はコミュニケーションをとることにあるんだから、コミュニケーション能力を育てられるような教え方をしなさい!!!」っということですね。

「今までのような文法中心で、細かい間違いばかりを気にしていると英語は話せないので、意味を伝えることに集中して、間違いを恐れずどんどん話すようにしましょう」ってな考え方です。



少し話がそれますが、ここで二つの言葉を紹介しておきます。

上で述べたような文法に焦点を当てた教授法をフォーカスオンフォームズ(Forcus on Forms)、今述べたような意味に焦点を当てた教授法をフォーカスオンミーニング(Focus on Meaning)と呼びます。

形式に焦点を当てているからフォームにフォーカス、意味に焦点を当てているからミーニングにフォーカスって感じです。



っということで本題に


しかし!!

ここでさらに問題が発生します。

今度は意味伝達ばかりに焦点をあてていると、文法項目がだんだんめちゃくちゃになってくるんですね。

例えば、”Yesterday, I are going to the town.”という言葉を聞いた場合にでも、「昨日タウンに行ったんやなぁ」って理解できますよね。

後ろの青い部分が文法的に正しくなくても。

っということで、1990年代あたりから「意味伝達ばっかに焦点を当てるのは良くないんちゃうか?」って考えられるようになってきました。

なら、「意味伝達を中心とした教え方に、形式にも気をつけるような教え方にしたらいいやん!」っていうのが出た結論です。

つまり、「フォーカスオンフォームズとフォーカスオンミーニングを足したらいいやん」って感覚です。(厳密にいうと違うんですがイメージとしてはこの考え方でいいと思います)

その結果誕生したのがフォーカスオンフォーム(Focus on Form)。

え?

間違ってませんよ。

誕生したのはフォーカスオンフォーム。

形式を中心にした教え方はフォーカスオンフォームです。

間違いやすいので気を付けましょう・・・笑



そして、一番のポイントは、フォーカスオンフォームでは、「コミュニケーションの流れのもとで文法的な知識も学習していきましょう」という点です。

今までは、例えば関係代名詞の使い方を学習したあとに、「はい、では実際に使ってみましょう」というような感じでした。

しかし、このフォーカスオンフォームでは、会話の流れから、例えば生徒が”*I go to the library yesterday.”と発言した場合、教師は生徒が自ら間違いに気付くように”You went to the library?”などのリキャストと呼ばれるフィードバックなどを用いて、会話の流れを遮らずに間違いを訂正するというのがポイントになります。(リキャストとは、教師が生徒の言いたいことの意味を変えずに、間違った部分を訂正した言い直しのことです)

今上で述べたように「自分で気づかせる」という点も一つのポイントで、フォーカスオンフォームには、気づき仮説という理論も深く関わっています。

今までの文法訳読法などでは教師が「この文法はこうだからこうなるんだよ」というように明示的に説明することが一般的だったんですが、このフォーカスオンフォームには気づき仮説の考え方が取り入れられているため、「生徒が自分自身で自分の誤りに気づくような指導をしましょう」というような考え方なんですね。

つまり、文法知識が全くない生徒に対しては少し難しいのではとも考えられます・・・

間違いに気づくことができないからです。



ではフォーカスオンフォームにはどのようなものがあるのか・・・

と説明したいのですがかなり長くなったのでその説明は次回!

今回は教授法の変遷を中心に書いたので、このような流れがあったんだな、という感じで頭に入れておいてください。

ではでは。


フォーカスオンフォームの種類と代表的なタスク



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P.S.
日本で文法訳読法が流行っている理由はいろいろあると思いますが、個人的な意見としては大きく分けて2つあると思います。(ものすごく一般的な答えですが・・・笑)

一つは、一クラスの大きさですね。

文法訳読の授業は先生主導で行いやすいため、大人数の生徒相手に行うのに適しています。

一方コミュニケーション中心の授業の場合そうはいきません。

文章読解と異なり、答えがいくつもあるため全員に共通する答えを示せないからですね。



そしてもう一つは教員のレベル。

文法訳読を受けてきた教師はやはり読解に強く、コミュニケーション能力に弱い教員になってしまいます。

現在でもコミュニケーション能力に自信のある教員がどれだけいるでしょうか。

自信のないことを教えることはできません。

っということで、今の日本の英語教育は負のスパイラルに陥っているような気がします。(個人的意見です)









【第二言語習得論】母語習得と第二言語習得の主な類似点と違い

みなさんこんにちは。

今日は母語習得(first language acquisition)と第二言語習得(second language acquisition)を比較してみましょう!

「両方言語の習得やねんから一緒ちゃうん?」って考えている人もいるかもしれませんが、以外と違いも多いのでこの機会に、どのような類似点と相違があるのかを知っておきましょう!



しかし、その前に上でも少し触れましたが、まずは前提として、母語習得も第二言語習得も言語取得であることをしっかりと押さえておかなければなりません。

何が言いたいのかというと、どちらの場合も、言語の習得に関する根本的な考え方、生得性や領域固有性に関する議論が存在します。(詳しくは言語獲得理論で)

生得性や領域固有性に関する議論、例えば原理とパラメーターのアプローチprinciples and parameters approach)や用法基盤モデルusage-based model)などは本来母語習得に関する理論ですが、もちろん言語の習得に関することなので、第二言語の習得にも当てはまります。

例えば生得性の代表例となる普遍文法に関しては、多くの第二言語習得の理論でも取り入れられています。



ではここから具体的に共通点と違いを見ていきましょう。

類似点

・似たような理論

・インプットの重要性

・臨界期仮説

今回はこの3つを中心に見ていきたいと思います。



まずは一つ目の似たような理論から。

これはKraschenのモニターモデルを例にとるとわかりやすいと思います。(モニターモデルに関しての詳しい解説はこちら

Kraschenのモニターモデルは第二言語習得に関する理論で、

・習得・学習仮説(the Acquisition-learning hypothesis)

・モニター仮説 (the Monitor hypothesis)

・自然習得仮説 (the natural order hypothesis)

・インプット仮説 (the Input hypothesis)

・情意フィルター仮説 (the Affective filter hypothesis)

という5つの仮説から成り立っています。(わからないものがある人はぜひモニターモデルの記事を見てみてください)



この中で特に自然習得仮説が母語習得の理論と似ていると言えます。

Kraschenは自然習得仮説の中で、第二言語は教えられる順番にかかわらず一定の順序で習得されていくと述べています。

例えば、〜ingや複数形のsなどは早い段階で習得されるのに対し、三単元のsや、所有格のsなどの習得は最後の段階になるまで習得されないと言われています。(最近の研究では、習得順序に関しても母語の影響を受けることが明らかにされてきています。例えば日本人は比較的早い段階で所有格のsなどは習得することができます。詳しくは母語の転移

そして、母語の習得に関しても、少し順序は変わりますが、同じような習得順序がみられます。

少し見にくいですがこのような順序になると一般的に言われています。

IMG_0061
母語の習得順序


IMG_0062
第二言語の習得順序



では次に2つ目のインプットの重要性を見ていきます。

まず、インプットとは習得しようとする言語に関わる全てのことを指します。

例えば英語を学習しようとする場合、本を読んだり、英語を聞いたり、また母語習得の場合には、周りの人からの話かけなど、全てのことを指します。



第二言語取得に関して言えば、先ほどのKraschenの仮説の一つでもあるインプット仮説に代表されますが、インプットの重要性に疑問の余地はありません。

アウトプット仮説を提唱しているSwainも、インプットの必要性を認めていますし、今までインプットは必要ないという主張は見たことがありません。

実際にモノリンガルの人(1ヶ国語だけ話せる人)を例にとればわかりやすいと思います。

モノリンガルの人が違う言語を習得しようとした時に、その言語に触れずに習得することは不可能ですよね。

英語にかかわらずに英語を習得する・・・

不可能ですね 笑

英語を習得するには英語に触れなければいけません。

したがってインプットなしには第二言語は習得できません。



母語も同様にインプットなしには習得できません。

例えば、有名な野生児のビクトールや、親に虐待され隔離され続けたジニーなどが例に挙げられると思います。

野生児のビクトールは、フランスの森林の中で、推定年齢12歳の時に保護されました。

もちろん言葉のインプットを受けていないため話すことはできませんでした。

一方のジニーも、生まれてから隔離され、親からも無視され続けていたため言葉のインプットを受けていませんでした。

その結果、彼女ももちろん言葉を話すことができませんでした。

こお二人は主に臨界期仮説の例として挙げられますが、インプットの重要性を示すのにも十分な例だと思います。

っというように、当然といえば当然ですが、インプットなしには母語も第二言語も習得することはできません。



では最後の臨界期仮説について見ていきましょう。

臨界期仮説は一番初め、Linnebergによって母語習得に関して提唱されました。(詳しくはこちら

それは、人間には言語習得に適した年齢があり(臨界期)、その年齢を超えると言語を完全に習得することができなくなるという説です。

彼の実験では、失語症の人の回復具合を調査していき、臨界期が大体12歳ぐらいまでという結論が出されました。

つまり、12歳以前に失語症を患った人は、その後完全に言語能力を回復できる傾向にあるが、それ以降にかかった人は完全には回復しない傾向にあるというものでした。

第二言語の方も、臨界期はないという説や、20歳ごろまでが臨界期という説もありますが、今のところ有力なのは母語習得と同じ、12歳ごろまでに第二言語環境に移り住み、習得を始めれば母語話者と同等のレベルになれるというものです。

逆に言えばそれ以降に移り住んだとしても、発音や文法面に関してもネイティブのレベルに達することはできないと言われてます。



上記のように、母語習得も第二言語習得も共に言語習得であるため、類似点もありますが、母語を習得する赤ちゃんと第二言語学習者との違いにより、様々な相違点も出てきます、

まず、第二言語学習者の特徴を挙げておきます。

・一つの言語をすでに習得した状態である

・認知能力がある

・第二言語を「学習」している



では、これらの特徴を踏まえて母語習得と第二言語習得の違いを見ていきましょう!

違い

・母語の転移

・認知能力の利用

・最終到達度



一つ目の母語の転移から。

第二言語学習者の特徴に、「一つの言語をすでに習得した状態である」というものを挙げました。

この特徴から考えられることは、第二言語学習者はすでに習得している母語からの影響を受けるということです。

母語習得の際には人間は他の言語は頭の中にない状態から習得が始まるので、他の言語の影響を受けることはありません。

しかし、第二言語の際にはすでに取得されている母語の特徴によって、学習が促進されるようなプラスの影響(正の転移positeve transfer)や、学習の妨げになるマイナスの影響 (負の転移negative transfer)を受けることになります。(詳しくは母語の転移

例えば日本人の場合、冠詞などの習得は負の転移により習得しずらく、所有格のsなどは正の転移により習得されやすいと考えられます。



2つ目は認知能力の利用に関して。

認知能力とは、物事を理解したり判断したりする能力を指します。

赤ちゃんには認知能力は備わっていないため、母語習得の場合、人間は一般認知能力を利用することはできません。

しかし、第二言語を学習し始める時期は一般的に、ある程度の認知能力があるときなので、この認知能力を利用することができます。

例えば第二言語を学習するときには赤ちゃんが母語を学習するときのように空間的概念(「前」「後ろ」など)や時間的概念(「昨日」「1時間前」など)のようなものを再び学習する必要はありません。

また文法学習のように効率的に言語の機能に焦点を当てて学習したり、自分がわからないことを詳細に述べることができるのも認知能力が利用できる第二言語習得の特徴です。

今述べたように認知能力の利用に関しては一般的にはプラスに働くと考えられているんですが、認知能力が備わっているからこそのデメリットもあります。

例えば、自分の間違いを気にしすぎて話せなくなてしまったり、世の中の様々なことを知っているため、会話のトピックに関してもより抽象的なものになる可能性があります。

また、認知能力が影響を及ぼす領域、及ぼさない領域がそれぞれある、という報告もされています。

音声や文法形態素(三単元のsや過去形のedなど)の領域は認知能力の高さにあまり関係せず、文章w論理的に書いたり、分析的な思考能力を必要とする活動などに関しては認知能力の高さが関係すると言われています。



最後は最終到達度です。

母語に関しては、どの人も最終的には完全に習得することができます。(完全な習得とはネイティブレベルという意味です)

しかし、第二言語習得に関しては「学習」が必要なため、様々な要因により最終到達度にばらつきが出ます。

この「学習」という言葉が第二言語習得においてのポイントです。



母語は学習する必要なく習得することができます。

赤ちゃんが机に座って母語を勉強しているところは誰も見たことがないと思います 笑

母語(特にスピーキングに関して)は周りの人からの話掛けを中心とした大量のインプットにより、学習することなしに習得していくんですね。(もちろん文字などに関しては学習する必要があります。)



一方で、第二言語は学習することなしには習得できません。

なので努力なしに習得できるというものではなく、習得したい場合には自ら学習する必要が出てきます。

学習することが関わってくるため、他の勉強と同じように最終到達度にも違いが出てきます。



その最終到達度に影響を与える要因として今回は、動機づけ、環境、年齢について取り上げたいと思います。

ではこれらの3つの要素を詳しく見ていきましょう。



まずは動機づけから。

動機づけの現在の主流な考え方は、DornyeiとNakataによる、内発的動機づけintrinsic motivation)と外発的動機付けextrinsic motivation)という概念を利用した自己決定論(self-determination)です。

この自己決定論とは、人から強制されて何かをするより、自分の意思で行う方が強い動機づけを生み出すことができるという理論です。

そして、内発的動機付けとは、外国語学習そのものに楽しさを見出し、それを理由に学習しようとする気持ちのことです。

それに対して外発的動機づけとは、金銭や社会名誉などの外から受ける利益のために学習しようとする気持ちのことです。

この理論によると、内発的動機付けの方が学習をより持続させることができる、言い換えると、第二言語習得に役立つ動機づけということになります。

この動機づけの種類や大きさによって、最終到達度が変わってきます。



二つ目は学習環境です。


学習環境は大きく分けて二つ。

自然環境natural settings)と教室環境instructional settings)です。(自然環境は第二言語環境、教室環境は外国語環境とも呼ばれます)

自然環境とは、目標言語が自然にインプットとして取り入れられる環境、言い換えれば日常的に目標言語を使う機会がある環境のことを指します。

例えば海外留学などがこの自然環境にあたります。



一方で、教室環境とは、教室内だけで目標言語を使う機会があり、教室外では使用することがない環境のことを指します。

日本の英語教育などはまさに、教室環境の学習と言えます。



自然環境での学習は、母語習得の環境と近い状態になりますが、その場合でさへもやはり母語習得とは異なります。

例えば留学した時に、レストランに入って食べ物を注文しようとしたが、なんと言えばいいのかわからない。

おそらく調べたり尋ねたりして学習していくと思います。

赤ちゃんの場合は、一番初めの段階で「注文」という概念すら分からない状態ですが、何度も親がおこなっている行動と言葉を聞いて自然に「注文」という行動と、注文するためのフレーズを習得していくと考えられます。

一方、教室環境の場合は、学習をしなければその言語に触れる可能性がなくなってしまうため、学習は必要不可欠です。

同じように学習したとしても、やはり自然環境にいるのか、教室環境にいるのかでは最終到達度は全く変わります。(先ほど述べた臨界期のに関して、教室環境での学習は、インプットの量が十分でないため臨界期の話に取り入れるべきではないというのが一般的な見解です)



最後は学習年齢。

母語習得は生まれた瞬間から始まるため、学習の開始年齢を考慮する必要はありません。

しかし、第二言語は学習が必要なため、その学習を始めた時が習得の開始年齢になります。

そしてこの学習開始年齢は臨界期との話とも関わってきますが、学習者の年齢によって学習から得られる効果は変わってくると言われています。

また、年齢に関しても先ほど述べた学習環境が影響を及ぼし、一般的には大量のイッンプッットを得ることができる自然環境の場合、年少者の方が有利で、インプットの量が不十分な教室環境では、認知能力を使うことができる年長者が効率的に学習することができると言われています。(詳しくはこちら

さらに一般的には、「Younger is better, older is faster.」と言われていて、臨界期や、最終的な学習期間を考慮すると小さい時から第二言語習得を開始する方が良い一方、認知能力は年齢とともに上がり、開始時期が遅くなれば認知能力を使った学習ができるため(初めのうちは)早く習得できると言われています。

今例に挙げたのは3つだけですが、このような学習にかかわる様々な要因によって、第二言語習得では母語習得とは異なり最終到達度に差が出てくると言われています。



というようにかなり長くなりましたが、これらが母語習得と第二言語習得の主な類似点と違いになります。

第二言語習得を考える場合には基本的には母語習得との比較が行われるため、これらの基本的な知識はぜひおさえておいてください!

では今回はこれぐらいで。




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【第二言語習得論】年齢の影響・Lennebergの臨界期仮説(Critical period Hypothesis)

今回は言語習得と年齢の関係について書いていこうと思います。



言語習得と年齢の関係で必ずと言っていいいほど登場するのが臨界期仮説Critical period Hypothesis:CPH)です。

この臨界期仮説は一番初め、Lennebergという人によって唱えられました。

では、臨界期仮説とは何か。

これは、「人間には言語を学習するのに適した年齢があり、その年齢をこえると言語を習得しようとしても、完全には習得できない」という説です。

そして、これもいろいろ説がありますが、Lennebergによると、その年齢は12〜13歳ごろだということです。

「え、早っ!?」

って感じですよね 笑



そしてこの学習に適した期間と、適さなくなる期間のちょうど変わり目のことを臨界点(Critical period)と言い、言語学習に適した期間のことを臨界期と言います。

そして驚くことに、この臨界期は、第二言語習得だけでなく、母語の習得に関しても存在すると考えらえています。



臨界期仮説の研究の原点は母語習得におけるものでした。

隣家一仮説の提唱者であるLennebergは、失語症(aphasia)の人の母語の回復具合と年齢との関係について調べました。

失語症とは、病気などによって脳の一部に損傷をうけ、言葉を理解したり、話したりできなくなってしまう状態のことです。

この調査の結果、思春期(12〜13歳ごろ)までに失語症を患った患者は、ほとんどの場合完全に回復することができたのに対して、それ以降に患った患者はたいていの場合、完全には回復できなかったという結果が出ました。

その結果からLennebergは人間には思春期を境にして言語習得能力が劣っていく、と結論づけました。



この研究の後、年齢の影響は第二言語習得に関しても考察され始めました。

しかし、その前に!!

第二言語習得と年齢について考える場合にはまず学習者の学習環境を考慮する必要があります。

つまり、自然環境で第二言語として学習しているのか、または、教室環境で外国語として学習しているのか、を考慮しなければいけません。



具体的に自然環境と外国環境では何が違うのか。

自然環境とは、学習者は日常的に新しい言語を聞いたり使ったりする機会がある環境のことを指します。

海外留学などは自然環境での習得になり、そのような環境で学習されるの言語を第二言語と教室環境で学ぶ言語と区別して呼ぶことがあります。(青文字の第二言語以外は第二言語と外国語両方を含めた意味で使用しています)



一方、教室環境とは、教室の中以外ではその新しい言語を使う機会がないような環境のことです。

日本の中学や高校で英語を学習する場合は教室環境での学習になり、そのような環境で学ばれる言語のことを自然環境で学習する言語と区別して外国語と呼ぶことがあります。



母語習得の場合、必ず自然環境での習得になるため自然環境か、教室環境かということを考慮に入れる必要はありませんが、第二言語習得の場合にはこの二つを分けて考える必要があります。

そして第二言語習得で臨界期を考える際には、インプットの量が十分である自然環境での習得にのみ焦点を当てる必要があります。

完全に習得ができるかどうかを年齢別に見ていくわけですから、母語と同じような習得環境で調査しないと信憑性が低くなるからですね。

多くの研究があり結果も様々ですが、第二言語に関する臨界点も、母語習得と同じように思春期あたり(20歳ごろという説もあります)にある、という説が今の所有力なようです。

学者の中には臨界期を認めない人もいるので、今後の調査に期待と言ったところでしょうか。



個人的考えですが、僕はLennebergのいうように思春期あたりに臨界点があるのではないかと感じています。

その根拠は、このブログでも紹介している池谷さんの最新脳科学が教える高校生の勉強法です。

この本では、脳の記憶の仕方が思春期あたりを境に変化するということが書かれています。(詳しく知りたい人は是非読んでみてください)

そしてその方法とは、思春期以前の脳は、全く意味のないものを覚えることが得意で(例えば九九)、それ以降は関連付けながら覚えることが得意になっていくとのことでした。

言語というものは完全に文法通りにいくものではないので、大人の場合、関連付けながら学習していくため完全には習得できないのでは?っというのが今の僕の考えです。



一つだけ覚えておかなければいけないことは、これらの臨界期に関する研究で想定されている「完全に使いこなせる」というのは母語話者と同じように使える、という意味なので、学習していくことで十分上級者になることもできるし、「勉強しても無駄だ」という意味ではないことを覚えておいてください!



次に学習開始年齢について見ていきます。

学習開始年齢と第二言語習得の関係については、これまでの研究の結果からいうと、第二言語習得においては年少者が、外国語習得については年長者が有利という研究結果が出ています。

その理由は、第二言語習得の場合には目標言語に接する機会が十分にあるため、最終到達度ultimate attainment)で子供の方が有利になる一方、外国語習得の場合にはそのような言語接触の機会がほとんどないため、認知能力の高い大人の方が早く習熟度が上がるため有利になると考えられています。

第二言語環境で学習するなら、どんなことも素直に吸収していく年少者の方が有利で、限られた学習時間しかない外国語環境の場合には、考えながら学習できる年長じゃの方が有利ということですね。

これまでの研究で出ている結論では、「年長者の方が初めの段階では習得スピードが早いが、時間が経つにつれて年少者に追い抜かれていく」、言い換えると、「Older is faster, younger is better」という考えが一般的になっています。



というのが第二言語学習と年齢の関係です。

では今回はこれぐらいで!



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【第二言語習得論】母語の転移(Language transfer・Cross-linguistic influence)

今回は母語習得と第二言語習得において一番の違いとも言える母語の転移Language transferCross-linguistic influence)について書きたいと思います。

個人的にめちゃくちゃ興味のある範囲なので、皆さんにもぜひ母語の転移についての知識を頭に入れておいてもらいたいと思います。



ではまず母語の転移とは何か。

英語ではLanguage transfer、またはCross-linguistic influenceと呼ばれています。

その名の通り、第二言語を学習する際に、母語から受ける影響ということです。

っということは、母語を習得する際には起こることのないものです。

なので母語習得と、第二言語習得における大きな違いの一つになります。



昔、母語の転移は、第二言語学習に対して悪い影響(負の転移)しかないと考えられていました。

そのためinterference干渉)と呼ばれていましたが、最近の研究で母語の転移は第二言語の習得に役立つ場合もある(正の転移)ことがわかり、現在ではinterferenceとは呼ばれなくなりました。

さらに母語の転移は第二言語を学習するときに、一方的に第二言語習得へ影響するだけでなく、第二言語から母語への影響、また第三言語を学習する際にはそれぞれに影響を及ぼしたりと、いろいろなところで交じり合いながら影響を起こすことも発見され、現在ではCross-linguistic influenceという名が一般的になっています。(英語を勉強していくうちに、日本語の中で新たな発見をすることもありますよね。)



っと、「こんな言葉だけで説明されてもなんじゃい」、ってなると思うので具体的に見ていきましょう!

自分の経験を考えて貰えば一番わかりやすいともいます。

ほとんどの日本人が、英語を学習する際に苦労する部分、冠詞を例にとってみましょう。



冠詞というのはaやtheのことです。

おそらく皆さんもこの冠詞の使い方、めちゃくちゃ苦労した(している)と思います。

これは母語の負の転移が起こっているからです。

つまり、日本語ではaやtheを使う機会はありません。

したがって日本語話者は日本語を話すときにはaやtheを意識することがないんです。

しかし、英語を使う場合には気にしないといけない。

ごのギャップのせいで日本人はaやtheを使うことに難しさを感じるんです。

これが母語の負の転移です。



これは文法だけに限ったことではなく、音声の領域、語彙の領域、意味の領域など様々な部分で生じます。

日本人が苦手とする、rとlの発音なども、日本語にないため難しく感じる。

これも負の転移の一つです。



「じゃあ正の転移ってどんなんあるん?」

ってなりますよね。

実は生の転移に関しては気づかないうちに影響を受けていることが多いんです。

自分が難しいと思ったことは頭に残りますが、自分のできることってあまり意識しませんよね。

なので日本人も英語を学習する際には、日本語から英語への正の転移の影響を気づかないうちに受けています。



例えば所有格の’s。


Tom’s bike

Mika’s sister


など、日本人の多くの人はこれらの使い方にそんなに難しさを感じたことはないと思います。

なぜならそれは日本語の使い方と同じだからです。


トムの自転車

ミカの姉


語順も変わりません。

なので、正の転移が働き、習得しやすくなるんです。



これらの例を見ていくと、日本人が英語を習得しにくい理由も見えてきます。

日本語と英語では違う点が多いため負の転移が多く生じて習得しにくいんですね。

一方でスペイン語話者などは英語と類似点が多いため、正の転移が多く働き、習得しやすい、ということになります。



しかし、一つだけ気をつけないといけないのは、似ているからといって必ずしも簡単に習得できるわけではないということです。

特に似ている場合、少しの違いに関してはものすごく習得しづらくなります。



例えば先ほど挙げた所有格の’s。

似ているため正の転移が生じる一方、負の転移も生じています。


*the mountain’s top

*the house’s roof


日本語ではトムの自転車、ミカの姉、山の頂上、家の屋根、全部同じ言い方なのに、英語では*the mountain’s top、*the house’s roofという言い方はできません。(所有格の’sは物に対しては使えません。 この場合 the top of the mountain, the roof of the houseになります。)

英語の所有格の使い方は、日本語と使い方が似ているからこそ、日本語と違う使い方が出たときに、過剰般化overgeneralize)してしまい、間違えてしまいます。(過剰般化:ある規則を、その規則に当てはまらないものにも当てはめようとすること)



っというように、第二言語を習得する際には母語の影響は避けて通ることはできません。

が、言い換えると、母語との違いを意識することで、より効率的な勉強をすることができるので、これからはぜひ日本語と英語の違いを意識しながら勉強してみてください。

では今回はこれぐらいで!



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【第二言語習得論】言語獲得理論(生得性と領域固有性)

今回は、人間がどのような過程で言語を獲得していくのかにつて書きたいと思います。

多くの人が聞いたことのある普遍文法UGUniversal grammar)の概念もこの言語獲得理論の部分で出てくる概念です。



まず言語習得の前提として、「人間はインプット(input)を受けて、その一部を脳や心に溜め込み、その溜め込んだたもののなかからアウトプット(output)を行う」、という流れを押さえておいてください。

インプットとは、対象言語に晒されること、簡単に言えば対象言語を聞いたり、読んだりすることです。

アウトプットはその逆で、自分が対象言語を生産すること、簡単に言えば話したり書いたりすることです。

つまり、英語を学習する場合、「たくさん英語を読んだり聞いたりして、その知識を元に英語を書いたり話したりできるようになるんですよ」、というのが人間の言語習得のプロセスです。

もちろん聞いたり読んだりしたことが一瞬ですべて習得できるわけではないので少しづつ習得していくことになります。



おそらくみなさんもこの考え方に異論はないと思います。

中学や高校生の時に、例えば英語の語順は日本語と違って、「主語の後に動詞がくるんですよ」ということをインプットとして受けて、そこから英語の文構造を理解し、書いたり話したりできるようになったと思います。

母語習得の場合も似たようなもので、赤ちゃんは、両親や周りの人からたくさん話しかけられことがインプットとなり、そのインプットを通して母語のルールを理解していきます。



しかし、ここで一つの問題がでてきます。

第二言語習得に関して言えば、先ほど例を挙げたように文法の規則などの説明を明示的に受けることができるため、こまかな違いを理解していくこともできます。(例えばMike’ bikeは正しいが、Mountain’s topは正しくないなど)

しかし、赤ちゃんが得られるのはまわりの人の実際の会話だけです。

さらにいうと、人間が成長したあとにアウトプットして現れる言葉は、必ずしも今までに受けたインプットに含まれていたとは限りません。



ここで「どうして人間はインプットを受けていないものでもアウトプットとして生産できるようになるのか」という問題がでてきて、そのことを研究した理論が多く存在します。

その理論を挙げる前に、2つ理解しておいてもらいたい言葉があります。

それが生得性(innateness)と領域固有性(domain-specificity)です。



生得性とは、人間が生まれながらに備わっている、という意味です。

つまり、ここでは言語能力は人間に生まれながらに備わっているという考え方です。



そして、領域固有性とは、人間の脳には様々な領域があり、言語を習得するための領域も存在する。

そのため、言語の習得は他のものとは独立して行われる。

っという考え方です。



この二つの考え方を認めるか認めないかによって、「生成文法理論に基づいた理論」(principles and parameters approach)と、「認知的アプローチに基づいた理論」(usage-based model)に分かれています。
(処理可能性理論に基づく考え方もありますが、処理可能性理論は生得性を認めているので生成文法よりの理論になります。)



生成文法理論に基づいた理論の中には有名な「原理とパラメーターのアプローチPrinciples and parameters approach)」、「極小モデル(the Minimalist Program)」などがあり、認知的アプローチに基づいた理論には「用法基盤モデル(Usage-based model)」「コネクショニズム(Connectionism)」「競合モデル(Competition Model)」などの理論が含まれています。



簡単にまとめると、生成文法理論よりの理論は、言語のある部分に関しての生得性を認め、さらに領域固有性を認めている理論になります。

そして、そのある部分というのが「普遍文法Universal Grammar:UG)」と呼ばれるものです。



例えば日本人の場合、

1 太郎は2軒の花屋で花を買った。

2 *太郎は2軒花屋で花を買った。

という文を見た場合、2の文は正しくないと判断できます。

しかし、何故ダメなのか、理由を聞かれたときに、詳しく説明できる人は少ないと思います。

2の文章は間違いであると直接説明されたことはないのに、正しくないと判断できる。

ここに普遍文法が働いている、と生成文法主体の人々は主張しています。



そして、言葉の習得に関して特別に生まれながらに持っている能力があると仮定するなら、言語習得は他の能力(例えばスポーツのスキルなど)とは別の脳の場所で行われる考えないと矛盾します。

同じ場所で行われるとしたら、他の能力にも生得性があるということになるからです。



一方、認知的アプローチに基づく理論では、言語知識の生得性は認めず領域固有性も認めません(領域一般の考え方)。

つまりこちらの考え方では、言語習得もスポーツの能力などと同じように、一つのスキルとして考えているんです。

先ほどの文の判断も、直接的に2の文章が間違っているとは教えられていないが、今までに受けてきたインプットの知識を使って自分の中で間違いだと判断できるようになる、というのがこちらの考え方です。

僕はこちらの考え方に賛同しています。



例えば将棋やチェスのプロはどのように考えているかご存知でしょうか?

実は彼らは何千回、何万回とプレイすることによって蓄積された記憶を元に毎回考えているんです。

「この盤面のときはこの動きをすれば良い」、という判断を今までの対戦の記憶を元に考えているんですね。

スポーツなどでも同じだと思います。

練習したことと全く同じ状況になることは少ないですが、練習したのと似たような状況にあることはたくさんあります。

そのときには練習でしたことを元に、考えて行動しますよね?

っというふうに考えると、僕は言語習得も他のスキルの習得と同じように感じています・



細かいところに触れていくとものすごい量になるので、大体このような感じで理解しておければ大丈夫です。

それぞれが理論として成り立っているため、一つずつ見ていくのは難しいので、時間があるときに少しずつ書いていきたいと思います。

皆さんも、時間のあるときに「人間はどうやって言語を習得しているんだろう?」と考えてみてください 笑

以外と楽しいですよ。

では今回はこれぐらいで!



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